樹林と歴史の古道 吉田口、これぞ富士の愉しみ 

吉永 厚子 耕一  







富士吉田口 2004年11月









富士吉田口登山道は、浅間さん(北口本宮浅間神社)からはじまる。参道の石灯籠、大鳥居、太郎杉、夫婦檜、富士登山門など富士講の歴史が息づいている。登山門を出発し、近くの大塚、諏訪森のアカマツ林、泉瑞、中の茶屋附近からはじまる富士桜など富士の裾野(草山)に見所は多い。

馬返(海抜1440m)附近は、富士吉田市教育委員会による富士山吉田口登山道関連遺跡の調査が行われ、復元されている。ここから本格的な木山と呼べようか。夏緑広葉樹と針葉樹の混交林。

馬返から県道の登山道を登っていく、その西側に本来の登山道が、一合目の鈴原社へ続いている。

二合目には冨士御室浅間神社拝殿が残る(地形図では小室浅間神社)。青木が原溶岩が噴出した頃の貞観7年(865)に祀られ、山中で最初の富士之本社といわれる。本殿は昭和47年に勝山浅間神社(里宮)に移築された。

明治5年まで女性の登拝は、二合目までに制限されていた。二合目の東南の天拝所にて山頂と日の出を拝した。この遥拝所は、女人天上と呼ばれていた。女人天上へは、コメツガの森を登る。林床は、苔に覆われ、富士登山本来の木山を彷彿とさせる。

三合目は、中食堂とも呼ばれた。三軒茶屋とも言われるが、朽ちた茶屋が二軒残っている。見晴らしがよく見晴らし茶屋とよばれていた。

三合目から上は、シラビソが優勢となる。

四合五尺には、御座石があり、巨岩のうえに御座石浅間社が祭られている。御座石小屋は、井上小屋という。

四合五尺から上は、五合目銀座とよばれ、小屋跡の石垣や小屋跡が残っている。

五合目は、天地の境とよばれ、現在、佐藤小屋、里見平小屋がある。

日蓮聖人が法華経を埋めたと伝えられる経ケ嶽・六角堂あたりから、背の低いカラマツ林となる。すぐに火山荒原となり、六合目(河口湖口)に接続する。








冬の吉田口(スノーシュー・ハイキング)は、 冬富士スノーシュー・ハイキング の後半スライドにあります






Last modified 5/8/2005

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