歴史を秘めた村山口登山道、現在世界遺産調査終了まで入山できない

吉永 耕一  







村山口 2005年7月







村山口登山道は、平安末期から村山修験の道として何百年にわたって人々に親しまれてきた。1860年、英国公使オルコックも、この樹林帯の登山道を辿り、外国人として初めて富士山に登った。しかしながら、明治39年(1906年)、地元の手によって新道が開かれると、訪れる人は殆どなくなった。やがて村山口は人々の記憶からも消えていった。日本山岳会の巨星・小島烏水は、「古くして滅び行くものは皆美し」不尽の高根(昭和2年)と嘆いた。

登山道を復活する動きは、地元で過去数回あったようだが、そのたびに出ては消えていった。2004年夏、富士宮市教育委員会の登山道遺跡調査をもとに遺跡群を辿るルートが仮設された。この仮設道は、村山浅間神社(海抜500m)から富士宮口新六合目(2490m)までの樹林帯の登山道。新六合目から富士宮口登山道に接続する。

村山口登山道周辺の植生は豊かで、クリ帯(500m-900m)、ブナ帯(900m-1600m)、シラベ帯(1600m-2500m)の樹林を満喫できる。富士は、草山三里・木山三里・石山三里といわれる。木山にあたる天照教(1000m)から上の古道は、比較的新しい噴火とされる(1033年)不動沢溶岩流と日沢溶岩流に概ね沿っている。苔むした溶岩上の樹林は、村山口の典型的な景観だ。

登山道には、村山浅間神社、興法寺大日堂、札打ち場の大ケヤキ、中宮八幡堂、一の木戸(旧一合目)に代表される多くの遺跡がある。なかでもシラベ帯上部に残る電光型登山道は、幸いにも浸食を受けていない。かつてここを上下した末代上人ら先人達の息遣いが聞こえてくるようだ。

村山口は豊かな自然環境を保全し、文化遺産として大切に保護され、次世代に伝えたいものだ。

現在、周辺はニホンジカによる食害が激しく森林生態系が劣化している。登山道として整備されておらず、また、世界遺産調査のため入山できない。




2005年7月16日(土)-7月17日(日)

村山浅間神社			09:00
札打ち場の大ケヤキ		10:30/10:40
天照教				11:20
山麓の村緑陰広場		11:45/11:55
中宮八幡堂			12:40/12:55
スバルライン(周)		13:12/13:15
スバルライン(登)		14:05/14:15
横渡し				15:25/15:36
一の木戸(旧一合目)		16:21/16:30
富士宮口新六合目(旧四合目)	17:36
(夏場の村山登山道は、水分の補給など十分な暑さ対策が必要)

富士宮口新六合目(旧四合目)	23:07
新七合目			00:07/00:19
八合目				02:05/02:20
九合目				03:00/03:10
富士宮口頂上			04:25
剣が峰				05:16
お鉢めぐり
御殿場口頂上			07:20
七合五尺			08:35
大砂走り・宝永馬の背・大砂走り
御殿場口新五合目		10:30












Last modified 6/20/2010

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