末娘も小学生の間に富士登山がてきればと考えていたが、小学校最後の夏休みにその機会が訪れた。父親、末娘、これまた初めて富士登山の母親の３人ででかけることとなった。
夏富士に登るのも２回目なので、息子と登った同じルートでは、いきなり海抜２４００ｍまで車で駆け上がり、大勢の登山客と溶岩礫の山道だけの登りを再体験するのも味気ない。かつて『草山三里、木山三里、岩山三里』と歌われた富士登山だから、せめて樹林の中から登りはじめたい。部分的にでも小島烏水が嘆いた『廃れいく富士の古道・村山口』的な富士登山を味わってみたい。
地図を開いて、あれこれと思案するのも楽しい。結局思案の末、落ち着いたルートは、表富士周遊道路の水が塚公園（１４５０ｍ）を出発し、御殿庭、宝永火口脇にでて、新六合目（２５００ｍ）から富士宮口登山道で頂上（３７００ｍ）を目指す。頂上ではお鉢めぐりと御来光を拝み、下山は御殿場口を宝永火口へ下り、御殿庭経由で水が塚へ帰る計画だ。宿泊は３人の体力を考えて、新六合と山頂の山小屋を利用する。夏山のラッシュを少しでも避けるため、月曜日入山、水曜日下山とする。浜辺の海抜０ｍから山頂までの完全登山は次の楽しみにしたい。
１９９５年８月７日（月）
東名高速道路御殿場インターチェンジから滝が原を通り表富士周遊道路を水が塚公園へ向かう。夏空はよく晴れており頂上まで山が見渡せる。今日はウィークデイのせいか夏山の季節にしては、車の数は少なく渋滞はない。新装なった駐車場に予定どおりに到着し、さっそく出発の準備を整え、富士を背景に記念写真をとり出発する。
蜘蛛の巣を顔に付けながら、熊笹の生い茂った小道をすすむ。１５００ｍ前後の富士山麓は熊笹がすごい。道の両側から押し出してきて前がよくみえない。数年手入れをしなかったら、トレールするのは無理だろう。やがて周囲は、ブナ・カエデ類と熊笹が混じる夏緑林となる。幕岩への分岐のベンチで休憩を取る。
この先から傾斜がやや増してくる。熊笹はなくなり、枯れた沢沿いに丈の低い草の小道をすすむ。
さらに心持ち傾斜が強まるあたりで亜高山帯針葉樹のコメツガやシラビソの林になる。針葉樹林独特の香りがする。登山客には全然出会わない。立ち止まると涼しい。こんな環境で昼寝ができたらどんなにいいだろう。
ガラン沢からの道と出会い、カラマツ林の林床にコケモモがひろがる御殿庭にでる。日ざしが強く、体調がいまひとつ、久しぶりの山行でなかなか調子がでない。トレーニング不足と体力の過信。二人に痛いところを指摘され、では大休止とし、はやめの昼食をとる。休憩が終わるころガスがでてくる。
御殿庭から宝永火口脇にでるまでは、砂礫の道が混じり、足場がずるずると崩れる、しっかりしない道が続く。ガスで展望のない２３５２ｍの標高点にやっとこさ、バテバテでたどりつく。顎がでている。第２火口から第１火口への肩の道も足場がしっかりしない。ほぼ水平にトラバースして富士宮口新六合（２５００ｍ）にでる。
新六合には二軒の山小屋があり、登山客や新五合目まで車で来た観光客でにぎわっている。これが本来の富士登山口の姿であろう。落ち着いたかんじの雲海荘を今宵の宿にした。肝心の費用は一人２食つきで六千円。新六合目に泊まる人は少ないとみえ、屋根裏部屋には寝床のスペースが十分ある。小屋のおばさんは話好きでサービスもよい。夕食には茄子や鳥肉もでてお茶も飲み放題、下界とあまりかわらない。
夕食が終わるころにはガスもすっかり晴れ、登ってきた木山三里も、これから登る岩山三里も見渡せる。食事もしっかりとり、ゆっくり暮れゆく景色も楽しめて、体調は回復基調で床につく。
８月８日（火）
ゆったりとした寝床と少ない宿泊客の静けさで十分睡眠がとれ気分よく目覚める。朝食をすませ水を１リツトル購入（５００円）し、準備体操もそこそこに出発する。いつの間にか持参の金剛杖に宿の焼き印が押してある。親切な小屋の人たちだ。
夏空のひざしを体一杯あびながらゆっくり歩く。最初の一本は特にゆっくり登っていく。今日は富士宮口ルートだから、あせらず登っていけば、丁度いいところに次の小屋がある。登りも下りも登山者に出会うが、ラッシュの混み具合ではない。三人とも淡々と登って九合五尺の胸付八丁にでる。ここが最後の小屋とのことで焼き印を記念にいれてもらう。
最後の登りは、空気が薄いせいか息苦しさを感じる。娘が『胸が苦しい』と、そう苦しそうな顔もせずに話す。『ゆっくりいこう』と声をかける。約３０分の登りで頂上奥宮まえに到着。終始母娘の二人が先に立ち、余力を残して登りきったようだ。
奥宮にお参りして山頂のご朱印を金剛杖に押していただく。二人は隣の山頂臨時郵便局から早速親せき、知人に山頂の記念スタンプを押した便りをだす。娘に息子の登山のときと同じように、登頂記念証をプレゼントする。
昼をまわったばかりであったが、山頂での今日の宿を以前泊まった富士館にもとめる。あっさり別館の銀明館をすすめられる。歩いて数分の距離の銀明館に、特別早い受付を頼み、雨具以外の荷物をあづけお鉢まわりにでかける。まずは腹ごしらえで富士館にてうどん（７００円）の昼飯をすませる。
外人登山者も結構多い。リュックをみると麓のキャンプ・フジに駐屯する米軍関係者らしい。元気よく半ズボン・Ｔシャツ姿で岩のうえをすいすい歩いていく。お鉢まわりは深田久弥さんによれば、時計回りが定めという。浅間神社奥宮を起点に、測候所のある日本最高峰剣が峰をめざす。遠くからでもすぐ目につく純白のレーダー・ドームが目の前にある。馬の背を登りきって測候所の入り口と最高峰の標柱のまえで形通り記念写真におさまる。
ここからは大きな火口がよくみわたせる。正面の久須志岳の縁はだいぶ崩れているようにみえる。測候所裏側の展望台から回りを見渡すが、ガスのため富士山周囲の景色はみえない。南アルプスの景観を期待していたのに残念。ここはかって野中至夫妻が私設観測所で初の冬期観測をおこなったところと説明する。母娘はしきりに頭痛を訴える。軽い高山病である。
今回のお鉢まわりは、外輪めぐりをやろうと期していたが、左側に切れ落ちた大沢左岸の急斜面におじけつき、蟻の戸渡り、親子知らずの岩稜は敬遠する。一端火口棚の方（内輪）へもどり、大沢源頭部の中央付近で外輪にもどる。ここから覗きみる大沢崩れの迫力は満点だ。雷岩の手前から小内院を左ににみて白山岳の裾をまいて、吉田大沢の源頭部で休憩。
久須志神社にもうでて、吉田口頂上で再度休憩。登頂の疲れがでてきたか。やはり３７００ｍの高さでは休みが多くなる。富士宮口頂上では、販売している飲み物の空き缶は自分で持ち帰れといっていたが、吉田口頂上では小屋が引取っている。吉田口は登山者が多く、小屋も多いので自然とサービスもよくなるのだろう。朝日岳、伊豆が岳、成就岳をまいて銀明水に到着。お鉢まわりが完了する。
銀明館の夕食はプラスティックの弁当箱にフワッとつがれた御飯にレトルト牛煮、紙コップのお茶。すぐに食事が終わる。寝床は布団一枚に二人同衾。いつの間にか登山客が集まって満員状態。寝返りがやっとうてるスペース。湿った布団に、今日一日の日焼けでほてる体。それでいて東京の真冬の気温。高山病の頭痛。『．．．これは修行だ』と自分に言い聞かせ、じっと時間が過ぎていくのを待つ。
８月９日（水）
奥さんもじっと耐えていたようだ。娘は、眠れたという。４時３０分に御来光を拝みに小屋をでる。今日も晴天だ。成就岳の裾で寒さのなか朝日を待つ。はるかかなたの水平線上の霞の中から朱色の光りが生まれてくる。急速にまばゆい光りの固まりに成長する。今回も御来光を拝めたことに感謝しながら、大勢の登山客とともに小屋に引き返す。
小屋で一時間待って朝食。朝食はさらにフワフワッとつがれた御飯に、ふりかけ、のり、福神づけ、お茶。考えてみれば、山頂のここも六合目の小屋もおなじ六千円の二食付宿泊費だ。高度が増すにつれて全てにコストがかかるのだから、この食事も当然。しかし、前回の富士館では朝食に生卵がついていたな。
下りは登山者の少ない御殿場口を利用する。大タルミをみるみる間に下っていく。３日まえの富士登山駅伝のテレビ中継では、なんと選手がここを全力で走り下りていた。普通に下りるぶんには、富士宮口より下り易い気がする。頭上の岩の崩壊、落石の危険性がちょっぴり気になる。
赤岩八合小屋で小休止。ここでは、御飯と自家製味噌汁食べ放題という。一度泊まってみたい。焼き印を頼むと、４種類も押してくれた。懐かしい七合八尺の気象台小屋もさっと通過して七合小屋に到着。小屋の人はいないようだ。やはり、このルートの利用者は少ないとみえる。七合から下は、大砂走りをくだる。傾斜の急な砂礫の下りは、面白いほど歩が進む。いつの間にか娘が砂ほこりをたてながら大分先を歩いている。走り六合の小屋跡から、宝永火口へのルートをとる。
宝永火口の縁、通称馬の背から見た火口は意外になだらかに思え、どこからでも火口底に下れそうだ。登りで目に飛び込んできた時より、心なしかこじんまりしているように思えたのは、山頂に立ち、大きな山頂火口や大沢崩れの絶景をみて富士のスケールに慣れたためか。お中道に従い、砂走りよりめの荒らい溶岩砂礫の歩きずらい道を、あっという間に高低差２５０ｍくだりきって火口底に立つ。やはり下から見上げると、この宝永火口は大きい。瞬間的にこの第一、第二、第三火口が爆発したというから、自然のもつエネルギーの規模の大きさは計り知れない。
火口底から富士宮側の縁へあがる。娘と二人で新六合へ水を調達にいき、折り返し宝永火口脇へ戻る。くっきりと夏空に映える富士をしばしながめる。岩山三里の山登りはこれにて終了。登りとおなじ御殿庭を通り、水が塚へさらに１０００ｍくだる。砂礫の道はつらいが、針葉樹林の小道は、枯れ葉が堆積し、クッションがきいた自然のじゅうたんだ。下りの連続ですこし膝が痛むが、予定の時間で水が塚公園に到着。振り返りながら仰ぐ富士山は雲のなかだった。
記録
１９９５年８月７日（月） ４：３０ 起床 ５：４５ あざみ野自宅発 東名横浜ＩＣより東名高速、足柄ＳＡにて朝食 御殿場ＩＣより富士周遊道路 ７：４８ 水が塚着 ８：３０ 発 ９：２５ 幕岩分岐着 ９：５０ 発 １０：４１ 針葉樹林にて休憩 １１：０５ 発 １１：４９ 御殿庭中着 昼食 １３：２０ 発 １３：５０ 宝永第二火口着 １４：１０ 発 １４：３３ 宝永第一火口着 １４：５０ 発 １５：０１ 新六合着 ８月８日（火） ４：３０ 起床 ６：１５ 新六合発 ６：２８ 六合着 ６：３５ 発 ７：０７ 新七合着 ７：１７ 発 ７：５７ 元祖７合（３０１０ｍ）着 ８：１５ 発 ８：５０ 八合目着 ９：１０ 発 ９：５５ 九合目着 １０：１０ 発 １０：３７ 九合五尺（３５９０ｍ）着 １１：００ 発 １１：３８ 頂上浅間神社奥宮着 １４：００ お鉢まわり発 １６：１５ 銀明館着 ８月９日（水） ４：２０ 起床 ４：５７ ご来迎 ６：２５ 銀明館発 ７：０５ 赤岩八合着 ７：１５ 発 ８：１７ 宝永火口底着 ８：３０ 発 ９：１２ 宝永第一火口発 １０：１３ 針葉樹林着 １０：３０ 発 １１：０８ 幕岩分岐着 １１：２０ 発 １１：５６ 水が塚着 午後 御殿場市温泉会館にて入浴、東名高速経由帰宅 以上（初筆１９９５．０８．１２）