吉永 耕一 + 俊介
息子が小学校5年生になったとき、一緒に富士山に登った。それまで近くの山にも登ったことがない息子を、小学校の夏休みの思い出にと連れ出した。息子は小学校に入学する前に、家族一緒に富士山御殿庭への散策、北八ヶ岳白駒池周辺の散策に行った程度だ。小学校の行事では箱根の林間学校を経験しているが、山登りをした記憶はないという。その息子と富士山頂で御来光を仰ぎ、お鉢まわりも経験した。
俊介とこの夏休みに富士山へ登ろうと思いたった。17、8年前登って以来の富士行きだ。8月5日日曜日、台風10号の影響は無いだろうと見込んでの出発だった。前夜、台風情報を見ようと関係無いテレビを遅くまで見て、8時6分の出発というていたらく。途中東名高速が自然渋滞で、富士宮口新5合目も大渋滞。結局登り始めたのは11時半過ぎ。『もっと計画的に出発しなくては』と思うけれど後の祭り。東名からも富士のスカイラインが雲間にくっきりと仰げ、御殿場に近付くにつれさらに富士の全貌が見渡せる絶好の登山日より。
新しい新6合の小屋から、宝永火口行きと分かれて上へ上へと溶岩砂礫の歩きにくい道を登り始める。森林限界の新5合以上には、はいつくばったカラマツが少しとオンタデの群落が広がるのみだ。いつも思うのだが、富士は大きな砂山だ。いつのまにかみすぼらしい6合小屋を通り過ぎる。お中道との交差点だ。仰ぎ見れば遥か頭上高く8合の小屋と金属光の衛生センターが目につく。いかにも高さを誇示するかのごとく、そっているかにみえる。新7合で12時50分。おなかがすいたと昼食にする。持参の即席麺は、とっておき、小屋で俊介とカレー(800円)、うどん(600円)を注文する。喉が渇いたとオロナミン・ドリンクを見ると300円。『高いな』と思いつつも、1000円の金剛杖も買うことにする。昨年、スバルラインの終点で買った杖は家に忘れてしょうがないな。でも、俊介が上の小屋につくたびに焼印(200円)入れることが励みになればと自分で納得する。
8合の小屋に14時40分に到着。さあ着いたぞと見上げれば、鳥居の彼方に9合、9合5尺の小屋が点在する。まあ、まあ、とハチミツ・レモン(300円)を飲む。俊は、止まりそうになるたびに『大丈夫びか、ゆっくりでいいぞ、だけど止まるな』と声をかけられ、なんとか登ってきた。時々、咳がでて苦しそう。先週ひいた風邪がまだぬけきってないのだろう。3000メートルを越えたあたりからなんとなく顔色が黄色くかんじる。高山病の影響も出できたかと気になる。
3460メートルの9合に15時30分に到着。10分休んで再び登り始める。16時12分になんとか9合5尺にたどり着く。小屋の親父がしきりに泊まれと勧める。山頂の石室小屋は、布団一枚に4人寝かせる。うるさい。9合5尺なら2階に泊めてあげる。暖かい。ともかく熱心な勧誘だったが、頂上3700メートルで寝たいとそうそうに出発する。もうこの高度では、10歩進んではしばらく休憩したくなるが、俊!止まるな!歩ける速さでいいんだ!と怒鳴りながら進んだ。乗用車程の岩が目につく。落石でも起きれば、一般登山道といえど危険な所だと思いつつ通過した。
17時20分、奥宮頂上に到着。登り初めて6時間弱。小学5年の俊介はよくがんばった。奥宮に参拝し、今日の感謝と明日の無事下山を祈念。俊は金剛杖に登山記念の印を刻印してもらう。(200円)
富士館が今夜の日本最高の宿所。二人で一泊二食9500円。奥の狭い布団を敷き詰めた部屋に案内され、親子で一つの布団に寝なさいとのこと。見るからに寒むそうな煎餅布団だ。昔山頂で夜を過ごした人たちを想えば、感謝しなければならない。電話を掛けようとすると、売店の営業は、終わった。公衆電話を使いたければよそを使えと高圧的に言われ、驚く。取り合えず奥宮の公衆電話から留守宅へ連絡を入れる。これも、2000円のテレフォン・カードしか売ってませんとの宮司さんの話に驚く。奥宮の隣、富士山頂郵便局で登頂記念葉書(300円)を自宅へ送る。いつ着くのだろう。記念の登山証明書(300円)まである。奮闘の俊へ奮発する。郵便局のひとは、やはり公務員なのか、親切なひとなのか、人を驚かす話は無かった。山頂は夕方ずっとガスで気温4度。風もあり寒い。
夕食は、どんぶり飯、味噌汁、佃煮、お茶。味噌汁は暖かく、麩が入っている。お茶も熱い。俊も全部たいらげた。食事中、隣は、尾張岡崎から来たやはり小学6年の親子連れ。また、遅れて同じような親子連れが到着した。ちょうど俊ぐらいの年代と、父親は、山に登るのだろう。食後は、もう寝るだけ。明朝は、4時の起床とのこと。二人ともオーロンの下着を身につけ、上は登ってきたときと同じ格好で床にはいった。同室には、若いふたりづれ、若い男の3人づれ、我々親子連れ3組、若い女ふたりづれ、若い男ふたりづれ、そして女ひとり。6時半には、みんな布団のなか。狭い部屋の中とはいえ、寒い。日中暖ったまった水筒が冷たく飲み易くなった。夜半、俊が頭痛を訴える。さらに、手や足が痛いと言う。カッコントウとビタミンcを与える。がんばれ俊、高山病、登山の疲労、痛みに負けるな!
寝ついたのか、起きていたのか、電灯の明りと『朝食です。』の声に床を出る。朝食は、どんぶり飯、生卵、味噌汁、ふくじんづけ。眠い目をしながら胃袋へかっこむ。俊は少しご飯を残す。食事中、富士館の大将が夜駆けで御来光を見にきた休憩客にここで寝るなと注意している。寝るなら他の休憩客も出てもらうと大声で怒鳴っている。きっと仮眠は別料金ということだろうが、今度は、驚くより呆れる。考えてみると、この短い夏の期間苦労して商売している生の声かもしれない。
セ−ターの上にセパレートの雨具上下の俊。セーターの上にパーカー、オーバー・ズボンの父親といういでたちで、午前4時30分御来光をもとめて富士館を出発する。こんな時間に活動を開始するのは、久しぶりだ。暗い夜空に東方が薄明るく朱に染められている。風は強く、俊は顔や耳に冷たく痛いという。歩き始めて間もなく、俊がなかなかやってこない。おいついてきたので問えば、もどしていたという。食後すぐ歩き始めたせいか、睡眠不足のためか、高山病の影響かかわいそうだ。もともと胃腸の成長にアンバランスがあるのか、車にも酔い易い質である。情けない顔をしながらも歩いて、成就ケ岳の麓で使い捨てカメラを構えて日輪を待つ。雲海の彼方、上空に一部雲がかかり、なかなか御来光は拝めない。それでも東方を背景にフラッシュを炊いて写真を数枚とる。山頂から見おろすと、御殿場方面は、果てしない裾野が延びきっている。
直接御来光は、迎えられなかったが広々とした雲海は十分満喫した。そのまま、頂上のお鉢めぐりと進もう。伊豆ヶ岳、朝日岳にも多くの登山者が日の出を待っている。伊豆ヶ岳、朝日岳の中間あたりから大内院火口を覗く。西側の火口壁には、万年雪が相当量ついている。虎岩もよく見える。俊は、虎かな?人にも見えると考えこんでいる。やがて、久須志神社に着く。人の多さに都会の雑踏を思い出す。表口の数倍の人である。その中をかき分けて、神社へお参りする。霊水『金明水』をいただく(300円)。神社の入口を出たとたん、まぶしい日輪に目がくらむ。5時6分。まばゆい光の神ごうしさのなか久須志岳へと向かう。その光を背にした時、わきあがってくる薄いベールのような 霧のなかに、突然幾重にも重なった同心円上の虹が浮かび上がった。その中心に俊と私の影が見える。『あっ、ブロッケンだ!』。思わずカメラのシャッターを押す。
自然の珍しい贈物に興奮しながら吉田大沢の源頭を越え、白山岳の登りにかかる。俊は、今日もつらそうだ。ゆっくりと一歩一歩踏みしめて登り着いた白山岳山頂から見る、富士北側のパノラマも言葉にできないほど印象的だ。生まれたての光り輝く空気の彼方に、煙りたなびく浅間山が見える。でこぼこの八ケ岳も、甲信越のやまやまもみえる。西側には大きな影富士も見える。別の登山者がブロッケンだと教えてくれた。さきほど見たばかりで影富士に興味を抱いてカメラを構えていると、つまらんものにと白けた様子だ。こんなときは、やはりブロッケン、ブロッケンというほうがよいのか、また、人間臭い気持ちになった。
白山岳を後にして進むうちに、やがて崖ぷちの上に出てしまい道を失ってしまった。もういちど、白山岳の南斜面を引き返し、内輪の火口棚にでる。俊がお墓じゃないのという。金明水だ。石碑がたっている。西安河原を通り、締まったままの環境庁休憩所、東大の宇宙線研究施設の脇を登って富士山測候所、日本最高点剣ケ峰に立つ。頭痛を訴えていた俊もさすがにニッコリ。笑顔が明るい。測候所の展望台にも、おっかなびっくり登る。大沢崩れがスッと下へ切れ込んでいる。
剣ケ峰から馬の背を下る。風の通り道だ。冬の片鱗が窺える。水の干上がったこのしろ池を回って出発点の浅間神社奥社につく。6時30分、お鉢まわりの完成だ。富士館で日本一高いおみやげを買う。俊には、約束の富士のペナント、バンダナ、キーホルダーと金剛杖につける登頂記念の日の丸をプレゼントする。私は、絶対根性精神注入棒をもとめた。
『山登りの事故の80%は、下山時におきている。』という富士館のおやじの話を聞きながら靴ひもをきつく締める。無事下山できて、はじめてその山登りは完成する。6時50分浅間神社奥社前を富士宮口へ下りはじめる。昨日はよくこんなところをのぼったな、と話しながら一歩一歩下る。登りでは息苦しくやっとだった所も下りはあっというまもなく通り過ぎていく。今日の登山者も結構多い。『ご苦労様』、『がんばってください』という会話が何度かくりかえされる。家族連れ、高齢者も多い。下りはじめると、俊の頭痛もなくなった。登りで焼き印を入れなかった小屋で焼きをいれてもらう。
10時20分新5合にたどりつく。駐車場の車の横で、山頂まで担ぎ上げた水とカップ・ラーメンをガソリン・ストーブであっためて昼飯にした。(1990.8.7)