吉永 耕一
7月28日(月)
JR八王子駅からスーパーあずさに乗車。松本にて松本電鉄に乗り換える。ゆっくりと進む電車でワンマンカーになっている。新島々でバスに接続し、正午すぎに上高地に到着。雨があがったばかりで、山々は全く視界のそと。登山補導所に入山届けを提出。
梓川ぞいに散策する観光客にまじって明神へすすむ。明神から幾分行き交う人が減る。 湿気を多く含んだ空気で緑も暗い。気づかずに通り過ぎそうな徳本峠への小道がある。徳 沢に到着したが村営徳沢ロッジに人の気配はなく、徳沢園が徳沢の中心であることを知る 。遅い昼食(月見そば)をすませる。
横尾を過ぎたころから雨が落ちはじめる。梓川の川面はところどころ白い水蒸気におおわれている。針葉樹林のぬかるんだ山道を携帯傘をさしてゆく。一の俣橋、二の俣の吊橋を渡る。幾分勾配がましたころ今晩の宿、槍沢ロツジに到着。
こんな天気でも宿泊客は100人を上まわっている。沢沿いの水の豊かなこの小屋には、ありがたいことに仮設の風呂がある。環境汚染を防ぐため石鹸の使用は禁止されている。入れ替え制の夕食の後、談話室のテレビで気象情報を食い入るようにみる。台風9号くずれの熱帯性低気圧が山陰沖の日本海にあり、明日も天気は崩れたままという予報だ。三人に敷き布団2枚の寝床でで夜中に何度か目覚めた。その割にはよく眠れた。
7月29日(火)
雨はあがっているが、依然上空は雲の朝。5時半からの朝食は少し遅い。もっとも早立ちの登山者は弁当を頼んでいる。100円で0.5リットルのお湯を分けてもらう。
シラビソのゆるやかな樹林帯を歩き始める。谷の両側上部には雪渓が見える。登山者は結構多い。中高年のパーティが中心だ。槍沢キャンプ地を過ぎ、ババ平にはいる。槍沢沿いの歩きやすい山道だ。道沿いに黄色のシナノキンバイが咲いている。左にカーブする大曲りあたりから例のU字谷になる。本当にこんな低いところまで氷河があったのか。
雪渓越しに天狗原への道を左に分ける。傾斜がきつくなりはじめたジグザグ道を進む。立山の雷鳥沢を思い出す。汗が吹き出してくる。雪渓の溶けた水で顔を洗う。冷たくて生き返る心地だ。急な雪渓を渡って、氷河の残したモレーンの上を行く。大きな石ころの上を歩く。
雪渓を渡り返し、東鎌尾根のヒュッテ大槍への指導標を過ぎ、坊主の岩屋に到着。槍が岳を開山した播隆上人がこの岩屋に篭もったという。ガスで槍の穂は未だ見えない。殺生ヒュッテは見えているがなかなか近づかない。槍ヶ岳山荘まであと何百メートルという標識の数字がだんだん小さくなっていく。ガラガラの岩まじりのジグザグ道は顎がでて苦しかった。
槍の肩で休憩し、息を整えザックを置いて槍の穂に向かう。ガスの中、まわりは全く視界がない。上り専用のルートをとる。左手の子槍側にでて急傾斜(に思える)の岩に取りつく。はしごや鎖をつたっていつのまにか頂上にでる。期待していたまわりの景色は厚い霧に全く閉ざされている。祠に参拝し、中学の登山パーティの先生に写真のシャッターを押してもらう。
下りは中学生パーティの先生とつきあう。新入女子生徒が初めてで緊張しているのか、 おっかなびっくり降りていく。丁度実香と同じ年ごろだ。
槍ヶ岳山荘で、カレーライスを食べる。今回の山行は山小屋泊りで行動食以外の昼食は何も持参しなかった。お金はかかるがこれは楽だ。家族への土産もかう。 天候が安定していれば、この先南岳小屋に南下し、大キレット越えで穂高へとの案もあった。初めての槍・穂高で凅沢にも行ってみたいと再び槍沢を下ることにする。
下りはステッキを使い、右膝をかばうようにゆっくりゆっくり、いっぽいっぽおりる。この日はとうとう槍は見えなかった。下り終えて槍沢ロッジの少し上部で赤沢岩小屋に気づく。梓川を溯行しこの岩小屋に明日の登頂を夢みた人々を想像する。
今日もまたロッジの湯につかる。明日の気象予報も変わらず。熱帯性低気圧の影響で不安定という予報に登山客から思わずため息がもれる。梅雨明け10日の好天を期待して入山しているのだ。
7月30日(水)
今朝も上空は曇りだか、雨の様子はない。横尾へ下る。一昨日と変わって雨も降らず、ゆっくり回りの風景を楽しむ。やはり深い山の趣がある。水分を含んだ針葉樹林の濃い緑と梓川の清流が美しい。
横尾で用をたし気楽な気分になる。梓川をわたり、横尾谷へはいる。間近に見上げる屏風岩が迫力をもって迫る。仮設の吊橋の本谷橋で一本立てる。ここから急になった岩道を汗だくになって登る。
涸沢は天候のせいか思いのほかテントが少ない。涸沢カールは思いのほか雪渓が少ない。それでも夏スキーを楽しんでいる人たちがいる。涸沢小屋でてんぷらうどんの昼食をとる。牛乳も飲む。ここにはクロワッサンもあんぱんも何でもある。ついあんぱんを買って昼のおやつにする。
涸沢小屋の横からハイマツやミヤマハンノキ帯を越え、岩だたみの道を長い間斜上する。涸沢カールもザイテングラードも見た目より急だ。涸沢のお花畑の写真では、ザイテングラードはもっとなだらかな側稜をイメージしていた。一般ルートを登っても、ここかしこに急峻な穂高らしさを十分感じる。俊介も今年の夏合宿で涸沢にはいる。気合いをいれて登ってほしい。最後の雪渓を慎重に越して白出コルの穂高岳山荘(2996メートル)につく。回りは相変わらずのガスで視界なし。
山荘はなかなか設備がととのっている。トイレは水洗完備、太陽のロビーと名付けられた談話室にはオーディオ・ビデオまであり、CDがずらっとならんでいる。電力は一部ソーラー発電を利用している。入れ替え制で一度に約120名が入る食堂の食事もいろいろ気をつかっている。厳しい自然・山岳条件のコルに建てられた小屋でひとときの安息を得る。
夕食後いつの間にか西側のガスがきれて、笠ヶ岳の向こう、雲海のかなたに夕日がしずんでいく。窓からみえるジャンダルムとそのスパッと切れ落ちた壁が赤錆色に輝く。入山いらい初めての景観にみとれる。
7月31日(木)
同室の人が『昨夜は満天の星だった』と話している声に目覚める。4時を過ぎている。外は薄明るい。小屋のテラスにでる。昨日までの天候のなごりで、3000メートル級の高度にしては暖かく、幾分湿り気も感じる。低い高度には雲海がひろがっている。常念の山並みの向こうから光芒が広がっていく。涸沢カールの底、暗やみの中に小屋の灯が見える。風は全く感じられない。やがて穏やかな日の出時を狙い済まして、ガスタービンのごう音とともにヘリコプターによる荷揚げ作業がはじまる。同時に日輪が出現する。
奥穂高岳をめざしてでかける。上り始めのはしご・鎖場にはもう行列ができている。大勢の登山者にまじってゆっくり登る。歩きやすくなったなった稜線に出ると北方の涸沢岳、北穂高岳のかなたにくっきりと槍ヶ岳がそびえている。あの槍の穂のてっぺんに登ったんだ。
山頂から四方の山々をながめる。前穂高や上高地、穂高の全域は手にとるように見渡せる。遠くの富士、北アルプス北部のやまやま、南アルプスは雲にかくれたり、不透明な大気のなかに隠れて確認できない。
奥穂高山頂より南東、前穂高方向の吊尾根にすすむ。殆ど稜線の下、岳沢側に作られたガレ道のコースをトレールする。岳沢は切れ落ちている。大した傾斜でもない鎖場の下降にぎこちなさを感じる。最低鞍部をいつのまにか通り過ぎ、やがて山に同化した気分で歩く。
紀美子平で小休止する。前穂高岳への往復はやめる。紀美子平から岳沢ヒュッテまでの重太郎新道は、鎖場ではじまり、ハシゴが数カ所ある北アルプスらしい下りだ。右膝の爆弾が破裂しないようバランスをとりながら下降をつづける。またたくまに、奥穂・前穂・明神の峰々を見上げる位置になってしまう。
孤高の単独行者・加藤文太郎の『北アルプス初登山』の一節を思い浮かべる。彼は前穂から下山ルートを失い、急な雪渓を下降中スリップする。『経験得ること多し。これらすべて実に偉大なる恐るべき山なり。穂高は実にアルプスの王なりとしみじみ感ぜり、神の力に縋らずして命を全うすることを得ざるなり。有難く感謝せり。』
ダケカンバの林のなかに見えはじめた赤い屋根の岳沢ヒュッテがなかなか近づかない。やがて岳沢の伏流・ゴーロを横切って重たい足取りでヒュッテに到着する。
岳沢ヒュッテから先は、傾斜の緩くなった登山道をステッキを頼りにくだる。明るい灌木帯は疲れた体に、夏の暑さが厳しい。やがて深い針葉樹林となり、幾分しのぎやすくなる。風穴から吹き出す天然クーラーの涼風に驚く。穂高の贈物に有難く感謝した。
下りついた上高地は人であふれている。人にぶつからずにまっすぐ歩くことがむずかしい。
小学生の遠足で登った福岡の宝満山、中学生の別府・鶴見岳、高校時代の九重山。それ以来いくつかの山旅・山行を経験し、今回初めて登った槍・穂高の峰々。ここを訪れることができたことを感謝する。また、夫婦同伴で訪れたい(1997年8月2日記)
<気づいたこと> −山小屋でテルモスに分けてもらったお湯は有効 −ナイロン製の半パン・スラックスとも歩きやすく、足を動かしやすい。 −ポリエステル・綿合繊のTシャツは着たきりすずめでも快適 −日焼け止めクリーム・リップ・スティックは山に必携 −下りは前傾姿勢がスリップ止に有効 −朝晩のストレッチ体操はジワッときいてくる <行動記録> 7月28日(月)雨、台風9号山陰沖 6時05分 横浜市自宅発 6時20分 あざみ野駅発 6時36分 長津田駅発 7時30分 八王子駅発JR中央線スーパー特急梓 10時 松本駅発 松本電鉄上高地線 10時45分 新島々発 バス 12時05分 上高地着 登山補導所へ登山計画書提出 12時15分 同上発 13時50分 徳沢園着 月見そば700円 14時05分 同上発 16時15分 槍沢ロッジ着 1泊2食8500円 スポーツ飲料300円 7月29日(火)曇 4時45分 起床 6時00分 槍沢ロッジ発 お湯100円 7時07分 大曲り上着 7時17分 同上発 8時08分 天狗原分岐上着 8時18分 同上発 8時58分 坊主の岩屋着 9時03分 同上発 10時18分 槍の肩着 10時42分 同上発 槍の穂(3180メートル)登頂 11時50分 槍の肩着 スポーツ飲料300円 カレー1000円 コーヒー350円 お湯150円 12時40分 同上発 13時38分 坊主の岩屋着 13時48分 同上発 14時37分 天狗原分岐上着 14時46分 同上発 15時38分 大曲り上着 15時46分 同上発 16時45分 槍沢ロッジ着 1泊2食8500円 スポーツ飲料300円 7月30日(水)曇 4時50分 起床 6時00分 槍沢ロッジ発 お湯100円 7時11分 横尾着 7時30分 同上発 8時28分 本谷橋着 8時38分 同上発 9時25分 Sガレ付近着 9時35分 同上発 10時25分 涸沢小屋着 天ぷらうどん800円 牛乳(2)500円 あんぱん200円 11時15分 同上発 12時05分 ザイテングラード取付け着 12時20分 同上発 13時00分 ザイテングラード上部着 13時07分 同上発 13時33分 穂高岳山荘着 1泊2食8500円 7月31日(木)晴れ 4時 起床 5時45分 穂高岳山荘発 お湯150円 6時30分 奥穂高岳(3190メートル)着 7時00分 同上発 7時50分 吊尾根最低鞍部先着 7時57分 同上発 8時29分 久美子平着 8時50分 同上発 9時24分 岳沢パノラマ上着 9時38分 同上発 10時51分 岳沢ロッジ着 スポーツ飲料300円 11時10分 同上発 12時53分 河童橋着 12時58分 上高地バス・ターミナル着 下山届提出 ざるそば700円 ミルク400円 14時00分 上高地発 15時22分 新島々発 17時08分 松本発(JR13分遅れ発車) 金時400円 お茶110円 20時40分 自宅着