/*★必須。スライド画像の位置指定と、枠(paddingやborder)などの装飾。位置指定は必ずposition:●●(何でも使いやすい指定で);が必要*/ #bs{ position:relative; margin:30px auto;/*★水平中央位置指定(上下、左右)*/ width:220px;/*★スライド画像の横幅*/ height:165px;/*★スライド画像の縦幅*/ } /*★必須。フェード画像用の指定*/ #Ga1,#Ga2{ position:absolute;/*★必須。#bsを位置の基準にするためと画像2枚を同位置にするため*/ transition:1s ease-in-out;/*★フェード変化時間。1sは1秒*/ } /*★必須。コメント用の指定*/ #Me1,#Me2{ position:absolute;/*★必須。#bsを位置の基準にするため*/ top:220px;/*★#bsを基準にした位置指定*/ transition:0.5s ease;/*★必須。最初の0.5sはコメントのフェード変化時間の0.5秒*/ width:100%;/*★#bsの横幅一杯*/ text-align:center;/*★コメントの左右中央位置指定*/ }
吉永 厚子 耕一
レーニア山と富士山
着陸態勢に入った航空機はシアトルの街並みを越え、市街地の南方Sea-Tac空港へ降下していく。視界に入ってきたレーニア山は、思ったより巨大な塊だ。この方角(西北)から見えるレーニア山のシルエットは、もっとも富士山に似ている。ほぼ左右対称で、均整の取れた円錐形で裾を長くひいている。だが、レーニア山の描く線には、東北斜面に微妙な凹凸がある。富士山の伸びきった優雅で繊細さを感じさせる線と、どこか違う。火山が噴火し、溶岩などの火山性の噴出物が幾重にも堆積し、同じように山体を形成していったレーニア山と富士山だが、印象は異なる。きっと、氷河の存在がレーニア山と富士山の造形に影響しているに違いない。レーニア山では、今年も、気温の上昇で氷河が融け、小規模な泥流の発生が報告され、一部トレイルが閉鎖された(Van Trump Debris Flow 8/14/01)。
レーニア山 VS 富士山 標高 4392m(一時は4900m以上) 3776m 初登頂 1870年 800年代後半 国立公園になった年 1899年 1936年 入園料 車一台5ドル 無料 登山者 11000人チャレンジ(50%成功) 20万から30万人登頂 登山技術 アイスアックス、クランポン 春から秋無雪期 情報公開 国立公園のウェブ・サイト 一括情報提供なし ボランティア 6万から7万人 100を超える市民団体 大規模な泥流 Osceola lahar 土石流、雪代 氷雪 氷河 万年雪
レーニア山と富士山との姉妹縁組
2001年元旦の毎日新聞「富士山 日米交流」特集記事から引用しよう。 太平洋を越え、世代を超えて、日米間に新しい「姉妹関係」が生まれようとしている。舞台は、日本最高峰の富士山(3776メートル)と米国カスケード山脈最高峰で日系人が「タコマ富士」とよぶレーニア山(4392メートル)。ともにコニーデ型の巨大な火山だ。この構想には、よく似た山の外見以上に重要な意識がある。「互いの文化を受け入れながら、自然を守りはぐくむことに協力し合おう」という自然保護の願いだ。
1935年、アラスカ杉の小箱に入れられたレーニア山の石と、桜の木の小箱に入れられた富士山頂上の小石が交換された。富士山の石は、国立公園長のオフィスに保存されている。レーニア山の石は、大戦中に行方不明になった。1952年に再度日本に送られ、現在、山梨県立ビジター・センターに保管されている。
Japan Volunteers in the Parks Association
パラダイスのビジター・センターの下のピクニック・エリアで日本人のボランティア・グルーブが働いている。朽ちてきたピクニック・テーブルを改修している。米国市民はもとより、世界各国からボランティアが集まり、国立公園の各種プログラムに貢献している。国立公園の維持運営には、なくてはならない存在だ。レンタカーで公園に入るなら、ニスカリー・エントランスからしばらく行ったところにあるKautz Creekという駐車場に車を停めよう。日本のボランティアが初めて作った短いトレイルがある。車椅子でもアクセスできるトレイルで、トレイルの脇には説明の掲示板がたっている。その中のガイド板のひとつに、このトレイルは早稲田大学の学生が作ったという記述がある。それから、パラダイスのニスカリー・ループというトレイルで、グレイシャーが見えるところの丸太フェンスも日本人のボランティアがつくったものだ。
Wilderness by Design
レーニア山国立公園は、1920年代後半、国立公園管理局(NPS: National Park Service)にとって、初のマスター・プランニング・プロセスにより計画された。ロングマイヤーの管理事務所の建物や、ボックス・キャニオンの橋は、周りの景観に融けこんでいる。イースト・サイド・ロードは自然環境や景観への影響を最小化する建設スタンダードを採用している。現地の花崗岩を巧みに利用したガード・ウォールがおもしろい。
Nisei Japanese American in Tacoma
レーニア山を富士山に重ねて「タコマ富士」と呼んだ日系2世の思いはどんなものであったのだろう。強制収容などで、年配の人が若い人たちに「富士山にそっくりでしよう。あれを見ながら頑張ろうよ」と励ましていたという。タコマで和食レストランを経営するジョセフ・コサイさんを訪問した。タコマでの日系人の歩みをまとめた「Furusato」という本をいただいた。表紙カバーは、M. Osakaさんが描いたタコマ富士と日本人学校だ。