吉永 耕一 + 俊介
鳳凰三山縦走中、初めて北岳を見たのは、入山三日目の夕方、砂払岳直下で台風余波の雨が収まったときだった。なお強い風の中、広い白鳳渓谷を越えて頭上を雲に覆われたまま、一瞬その頂きを見せた。待ちわびた北岳は、直ぐに雲の中に隠れてしまった。翌朝は台風一過の大快晴である。奥多摩のかなたから登る朝日に心をうたれつつ、返り見た北岳は頂上を朱に染めていた。それは一個の頂きというより間ノ岳、農鳥岳と連なった一万尺の山なみそのものであった。眼前には、池山吊尾根が広く大きくどっしりと根を張っていた。
薬師岳から、観音岳、アカヌケ沢の頭、高嶺、白鳳峠へと縦走が進むにつれて、悠々たる白峰三山は向きを変えて、その連なりを見せた。白鳳峠を下りながら見た北岳は、左手には大樺沢を抱えた吊尾根を、右手には小太郎尾根を、両翼のごとく張り出した形になった。
北岳は1000m以上も切れ落ちた深い渓谷を刻みこんだ野呂川をはさんで、鳳凰三山、早川尾根と向かい合っている。そこには、人の目で直接確かめられる大きさいっぱいの空間が造られている。夏でも雪かと見間違う白砂、花こう岩の鳳凰三山とは対照的に、北岳頂上付近はあめ色の岩塊(チャートや粘板岩)が露出し、バットレスを形成している。
1993年夏の家族登山は、耕一、厚子、俊介、実香の4人で夜叉神峠より入山し、鳳凰三山を縦走、広河原へ至り、引き続き北岳へ登る計画であった。鳳凰三山縦走を終え、充足感に満たされながら広河原へたどりついたが、台風によって変更した日程と肉体的制約で、残念ながら計画を前半の鳳凰三山縦走で一旦打切った。
私達にとって、夜叉神峠からの入山が、白峰への、そして南アルプスへの精神的アプローチであったなら、ここからの出発を選んだ初めての南アルプスへの山旅を終えるには、やはり白峰の頂きに足跡を残す事であろう。約10日を経た8月25日、俊介と二人で念願の北岳に向かった。
8月25日(水)
お盆休みが終わった広河原の駐車場は、夏山シーズン真っ盛りのつい10日前にくらべて半分以下の車の数だ。冷夏長雨続きでやっと訪れた真夏の青空が明るい。それでも、木陰をわたる風は涼しく、早くも夏の終わりを告げている。オートキャンプ用炊事用具を使い、早い夕食をすませ、明日の山行に備える。
8月26日(木)
午前3時半に広河原にとめた車の中で眼が覚める。昨夜7時過ぎに寝てグスッリ眠れたようだ。シートをフラットにした車のなかは、テントよりずっといこごちがよい。真っ暗やみの中、外に出て空を見上げる。昨夜輝いていた真上の星は見えない。雲が出てきたのだろう。やがて、ここ広河原を取り囲む峰峰の東側の空に、ほんの少し明るさが感じられるようになった。
オートキャンプ用のツーバーナーに火を付ける。朝食は、二人で三人前のレトルト御飯にインスタントみそ汁、イカとサンマの缶詰のおかずだ。今日の行動に備え、しっかり食べる。俊介もゆっくりながら全部たいらげる。荷物のパッキングをやり直し、出発の準備を整える。薄暗かった辺りが短時間にはっきりと色彩も分かるほど明るくなる。二人して準備体操を入念に済ませる。
5時40分、広河原(1529m)の駐車場を出発する。野呂川沿いに、むき出しのノリ面の下を通り、お大樺沢出合より大樺沢に入り直ぐのつり橋を渡る。橋の上から大樺沢の雪渓、八本歯のコル、バットレス、北岳山頂がはっきり見える。上空は昨日までの明るい夏空とは変わって、ねずみ色の高層雲で被われている。この雲行は八丈島南方を北上中の台風11号の影響だろう。何とか昼過ぎまでは、山の天気は持ってほしい。晴れ男の俊介が一緒だから、きっと大丈夫だ。
俊介が荷物を置いて、広河原山荘の登山者名簿に登山計画を記入に行く。俊介のバック・フレームを登山道の方へ抱えていく。今までの俊介の荷物に比べ重量感がある。15kg位はあるだろう。鳳凰三山縦走を終えた翌8月13日の早朝は、この山道を大勢の登山者が、切れる間もなく長い行列を作りながら登っていった。今朝は殆ど人に出会わない。
6時過ぎ、登りはじめる。ブナの大樹が目につく、うっそうとした広葉樹林のなかをいつものとおり、ゆっくりゆっくり歩を重ねる。砂防ダムを落ちる沢の水流が響く。後ろから単独行の登山者が追いついてくる。道を譲る。小さな沢を渡り、白根御池と大樺沢との分岐で早くも小休止を取る。俊介には荷物がちょっと重かったかもしれない。山小屋素泊り用の個人装備に加え、食料を担いでいる。今回も父親のためにビール缶1本を担ぎ上げる。休んでいる間に数パーティが先に進む。
ここから大樺沢の左岸沿いに水の流れる大石小石の緩やかな道を登る。再び、小さな沢を渡って、最初の崩壊地を足早に通過する。結構大きな石や岩が転がっている。振り返ると、高嶺の頂きや、白鳳峠直下のゴーロが思ったより高い所にある。午後の暑い急な下りの記憶がよみがえる。大樺沢に流れ込む次の沢に『この水は飲料に不適』と案内板がでている。白根御池小屋の辺りから流れ込む沢なのだろう。
二番目の崩壊地は、休憩中の数パーティを後にして、案内板に従って大樺沢を右岸に渡る。早川尾根から眺めたとき、二個所の崩壊地は、緑の樹林帯のなかにポッカリあいた灰色のハゲのような印象だった。右岸の巻道は、意外な程高巻いて汗がにじんでくる。小休止をとる。さっき追い越したばかりの数パーティが先にいく。崩壊地を右下に眺めるようになった地点で左岸に渡り返す。下を見ると、崩壊地の下、左岸を真直ぐ登ってくる中年男女のパーティがいる。落石など関係ないと思っているのだろうか。対岸を行くのがめんどうなのか。まぁ、人それぞれだ。
しばらく、左岸の樹間の道を登ると、やがて上方に大樺沢二俣辺りの雪渓が見えはじめる。10日前、鳳凰三山から眺めた時より、だいぶ雪渓が小さくなった気がする。二俣で休む人々が遠くに点のように小さい。一歩一歩登っていく。足下に目をやって、前方に足を出す。それを幾度も繰り返す。ふたたび、目を上げると二俣の雪渓が、もう目の前だ。
雪渓にでてみる。固い。たいした傾斜ではないが、キックステップの必要を感じる。俊介も喜んで雪渓の上を歩こうとするが、おっかなびっくりだ。草付の道にもどる。アルペン・プラザの登山情報では『雪渓の夏道を登ること』とあったが、今日のこの雪渓の状態では軽アイゼンでもなければ、一般の登山者には無理だと思う。
大樺沢二俣(2209m)は、北岳登山道きっての交差点だ。後方に戻るような白根御池への道と、右に曲がり小太郎尾根から肩の小屋に向かう右俣の道と、八本歯のコルへ突き上げる左俣のコースと、大樺沢の広河原への下りとが集中している。下山の人か、意外と多くのパーティが二俣で休憩していた。振り返ると、白鳳峠も手の届きそうな高度だ。だいぶ高度を稼いだ。ゆっくり休もう。太陽が高層雲のなかにおぼろげに輝いている。
左俣に入って、左岸のザレた道を登っていく。幾分傾斜が増したようだ。俊介のペースが徐々に落ちてくる。荷が肩にくい込んでいる。小休止をこまめにとる。右手前方に北岳バットレスの下部岩壁が威圧的に迫ってくる。登山道に大小の岩礫が多くなる。落石の危険地帯の標識がある。右手バットレスの不安定な岩が崩れると、幾ら注意していても逃げ場は少ない。夏山シーズンに一度は落石事故があるという。落石で命を落とされた方のレリーフに思わず頭を下げめい福を祈る。元々、バットレスの登攀、下降のアプローチに使われていた左岸は、一般ルートにはむいていないのではないか。どうして右岸にそった登山道を切り開かないのだろうか。
次第に傾斜が増す。大樺沢が熊本城の武者返しの石垣のようにせりあがっていく感じだ。俊介も苦しそうだが、休憩できる所まで何とかがんばる。一歩一歩確実に岩の堆積した急斜面を登っていく。しっかりと足を地につけ、スッと伸び上がるように高さを獲得していく。D沢下部を通過し、eガリーの岩に描かれた赤い通行止めのバツ印の前から上部二俣を左に回り込む。ここはガスで見通せないと、バットレス側へ迷い込んでしまうかもしれない。
上部左俣に入った所で休憩をとる。いつの間にかアカヌケサワの頭越しに鳳凰三山のシンボル、地蔵岳のオベリスクが見える*1。左に目を転じると、間近にのしかかるバットレスの岩稜だ。中央にのびる特長的な尾根が第四尾根だ。岩稜を横に走る岩の節理がおもしろい。目を凝らしてみるが、今日はクライマーはとりついていないようだ。彼らのたくましいコールは聞こえてこない。
急な登りを再開する。振り向くと大樺沢二俣がスーッとはるか足下にみえる。八本歯沢を少し登った所から右手の小尾根にとりつく。八本歯沢を忠実にたどる道は、もう10数年前に落石の危険のため閉鎖されたという。俊介が遅れがちだ。ガンバレ!至るところにハシゴが設けられた尾根道を登りつめると八本歯のコルだ。
八本歯のコル(2850m)からは、南面に新たな景観が広がる。八本歯の頭から少し山体をのぞかせる富士、南アルプス南部の山々の重なり、農鳥岳、間ノ岳、そして赤い屋根の北岳山荘が見える。間ノ岳の向こうの空が暗い。台風の影響だろう。富士山にもすぐ雲がまつわりついた。
俊介が『北岳山荘が遠い』という。少し疲れたか。行動食として準備したパワーバー、暖かいココア、ドライフルーツ、なしを食べる。何といっても我が家特製のパウンド・ケーキがうまい。俊介も元気回復だ。俊介は『パワーバーとドライフルーツの味がまずい』というが、私には結構うまい。空腹を満たし、落ち着いて辺りを眺めると高山植物が多いことに気づく。目の前の八本歯のコルの頭を登攀している人がいる。ちょっとした岩場のようにみえる。基部には、銀色に反射する金属板がある。きっとレリーフだろう。
コルを出てやせ尾根を少し登った所に2か所ハシゴがある。上のハシゴは約30段あり、『はぁはぁ』と息をはずませながら攀る。北沢側に切れ落ちたヤセ尾根が太い尾根に変わると巨岩の堆積帯を過ぎる。岩角を踏みながら踏み跡とペンキのマークをたどる。踏み跡を外すと、行き場に困る。北岳山荘へのトラバースとの分岐点で休む。
なんとか天気がもっているからか、俊介が『暗い雲の動きがゆっくりでよかった』と話しかける。そうかなと思いながら、よく観察するとかなりのスピートで南から北へ移動している。午後になり台風の影響が確実にでてきたようだ。このままでは明日は北岳山荘で停滞となり、あさって北岳を越えて下山になるかもしれない。
『今日、このまま北岳に登って肩の小屋に泊まって、天気が悪くても予定通り明日降りよう』と思いもかけず俊介が話す。『このまま荷物をしょって大丈夫か』と問うと、『大丈夫、登ろう』と答える。行動食をとってだいぶ元気がでてきたようだ。ゆっくり登っても2時間あれば、北岳に登頂し肩の小屋までいけるだろう。天気も崩れたとしても何とかなりそうだ。簡単に予定を変更する。
北岳山荘への分岐点から池山吊尾根分岐までの間は、さすが北岳だと思う程のお花畑だ 。ピンクのタカネナデシコやタカネシオガマ、黄色の金露梅やミヤマアキノキリンソウ、 紫のタカネグンナイフウロ、白のミヤマミミナグサなど思わずカメラを向けてしまう。鳳 凰三山縦走のタカネビランジといい、今回の北岳のお花畑といい、南アルプスの高山植物 の美しさに目を奪われてしまった。可憐などという最近めったに使わないコトバも口にで た。考えてみれば今までの山行で記憶に残る高山植物は少ない。ここ10年では富士山の 御殿庭のコケモモ、お中道のシャクナゲぐらいか。
池山吊尾根分岐にさしかかるころ、間ノ岳に笠雲がかかる。『天候悪化の兆しだ』と、声を出す間もなく湿った白いガスがスッと下方から押し寄せてくる。突然視界はとざされ、ドッと強風にもてあそばれる。岩陰で上下の雨具をつけ、ザックカバーをつける。風は分岐の辺りが部分的にコルになっているせいか一番強い。尾根の反対側に回り少し登れば風は弱くなり、吹いたり止んだりだ。
北岳山頂をめざして歩きはじめる。雨具のズボンを着けると足を上げづらい。北岳西面はスーッとのびる急なスロープだ。急な斜面の登山道の近くで雷鳥の親子が歩き回っている。『雷鳥が登山道に現れれば天気が崩れる』という天気のことわざがあったかな。俊介には初めての雷鳥だが、残念ながらあのゲロゲロという泣き声は聞こえない。われわれ親子は最後の急登を終え白峰北岳の高みに立つ。
北岳頂上(3192.4m)は南北に細長く思ったより広い。俊介と3年前の富士登山以来の念願がかない握手をする。先客の3パーティが、崩れはじめた天候のなか展望を楽しんでいる。ときおり白い雲の塊が白鳳渓谷の空間を音もなく飛び越えてくる。白い魔物がやっくる、そんな感じがする。ガスに包まれ、しばし眺めが消える。またひと呼吸して、まわりの景観が見えはじめる。登ってきた八本歯のコルはずっと下方だ。頂上の縁から顔を出すと、足下まで切れ落ちて大樺沢が目にはいる。広河原付近の林道は深い谷底だ。
上空は全天、高層雲に覆われているが、遠くまではっきり見える。この湿っぽい大気の中をゴウゴウと音をたてながら台風が進んでくるのだろう。大分雲に隠れた富士から、鳳凰三山、八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、遠く北アルプスの槍や穂高、仙丈岳、御岳、中央アルプス木曾駒ヶ岳、斜面にそって流れる笠雲に閉ざされた間ノ岳までグルリと見渡せる。さすがに晴れ男の俊介だ。きわどく山頂からの眺めを満喫し、風景を写真にとり、自らも記念写真におさまる。俊介は疲れもどこか吹き飛んで元気いっぱいだ。
短い山頂滞在を終え、北峰の山稜の左をからんで下りはじめる。登頂後の気の緩みを引締め、1700mの登高後の下りを慎重に一歩一歩進める。思ったより近い所に青色の肩の小屋が見下ろせる。ほどなく急降下の両俣小屋へのコースを左に分る。上から見た肩の小屋は小太郎尾根にそって南北に長く、東西を石垣で囲っている。急な斜面をかけ登ってくる気流からうまく身を隠している。小屋の前は3000mの尾根道にしては、広々としている。
小屋の主人の森本さんは、気さくな人柄だ。『山小屋のオヤジがガイドする北岳を歩く』というガイド・ブックにその顔が沢山でてくる。その同じ顔が、同じ服のまま目の前にいらっしゃる。『ご主人が森本さんですか。ガイド・ブックでみました』と話しかけるとニコニコと笑っての応対だ。こちらがちょっとあがってしまって、『完全素泊りで二人お願いします』と、思わずへんな日本語が飛び出した。一人2500円、今回の節約山旅にはうれしい料金だ。部屋の中にはストーブが燃えていて暖かい。『自炊は外では寒いでしょう。ストーブの回りでどうぞ』と親切だ。素泊りは、ストーブの近くに寝場所が用意されていてありがたい。二階もあるが結構天井も高い。鳳凰三山の山小屋は暗くて寒かったが、ここは明るく暖かい。
雨に打たれ濡れねずみの客が肩の小屋に入ってくる。私達親子は降雨直前に小屋に着き幸運だった。小屋の客は、二俣から右俣や白根御池草すべりを登ってきた人が多い。われわれと同様八本歯のコルをへて北岳越えできた人もいる。近畿大学のホステリング・サークルの一行もテント設営をやめてドヤドヤと小屋に入ってきた。結局、40人前後の泊まり客となった。収容人員180人の小屋だから、空いていて寝場所も広く取れ快適だ。喜んでいたらストーブの煙が小屋中にたちこめ息ぐるしくなった。急いで窓をあける。ストーブが不完全燃焼を起こしている。誰か泊まり客が果物の皮、濡れタオル、ビールの空き缶を入れた袋をストーブにほうり込んだという。この山のなかにも、自分のことだけしか考えない人がいるものだ。自分の出すゴミは自分で下界に持ち帰ろう。
ストレッチ体操を済ませ、ラジオの天気図をつける。午後4時の気象通報では、台風11号が八丈島の南を北上中だ。明日正午ごろ関東地方に上陸の可能性が強いらしい。半径150kmが風速25m以上の暴風雨圏内だ。『明日は天気の様子によって停滞の可能性が高いよ』と俊介に告げると、彼はしきりに『午前中に降りようよ』という。よく聞くと、28日に小学校の同窓会があるので出席したいらしい。どうやら、重い荷物を担いで北岳を越えてきたのも、そのつもりがあったからと思われる。
ストーブの回りが混んでいるので、結局外にでて風雨の軒下で自炊する。今夜はフリーズドライの御飯だ。俊介はカレーライス、私がガーリック・リゾットだ。大阪から来た4人の中年おじさんパーティと一緒に炊事をする。このなかの一人が私と同じコールマンのGIストーブを使っている。このガソリン・ストーブは1970年代の製品で、そうとう年季がはいっている。大阪のおじさんが『同じものを使っているので、他人のような気がしない』と笑って話しかけてくる。おじさん達はビールを飲んだり、お酒を飲んだり延々と山上の宴会を楽しんでいる。ホステリング・サークルの人達も小屋から出てきて自炊を始めたので、私達はフリーズドライの夕食にコーン・スープを混ぜて早々に夕食を終える。
寝袋を出し、寝床を準備する。俊介は今回の山行に備え、昔使ったフェザーのシュラフを洗濯した。見事ロフトを回復させ、バックフレームの外に付け持参した。小屋のマットの上に、これも持参の古いマットを重ね寝袋にもぐりこむと暖かい。いや、まだ、ストーブもついているので3000mとはいえ暑い。登山シャツと長ズボンを着たままで靴下を脱ぎ、肩から上をだして寝る。薬師岳のあの寒むかった夜とは大違いだ。簡素で何もなく比較的人の少なかった小屋、そして今日の設備が整った小屋、どちらがいいのだろう。午後8時には小屋の蛍光灯も消え眠りにおちいった。
8月27日(金)
夜半に目が覚める。時折強い雨音だ。明け方に近くなると雨音が静まってきた。台風がスピードを早め、北上してしまったかと期待しながらラジオの天気予報を聞けば、まだのろのろと八丈島付近を通過中とのことだ。どうやら昼過ぎ房総半島に上陸しそうだ。暗い中、外のトイレに小用に立つ。外は霧雨で風が強い。天気の崩れはこれからで、今朝は停滞かとまた寝入る。
小屋の人は5時には朝食の準備を済ませていたが、なかなか客を起こさない。やっと5時半に朝食を告げる。自炊の人達もストーブの回りに集まってくる。小屋の人の話では、南アルプス林道は異常気象で通行止になったそうだ。広河原にたどりついても、そこで停滞だ。皆朝食を取りはじめるが、私達は寝袋の中に入ったまま停滞をきめこんでいる。
大方の泊まり客が食事を済ませ、早い人が雨具をつけ出発しはじめる。7時過ぎ、停滞にしてもそろそろ朝御飯を食べるかと、やっと起きだす。ゆっくり起きてきたので、自炊客の朝食も終わりストーブの回りが空いている。俊介が『重たいものから食べようよ』というので、献立計画を変更して予備食のレトルト御飯にカレー・ライスを食べる。俊介は昨夜から続けてカレーだ。リンゴをかじり、バナナも食べる。
広河原へと数パーティが下山していく。大阪のおじさん連も『さあ、行くぞ』と出発する。外へでて見ると結構風はあるが、霧雨だ。俊介が『下山して広河原で林道の開通をまとうよ』としきりに勧める。小屋のおばさんは『下の広河原小屋は、林道の開通待ちで混むから、ここでまっていたら』と勧める。単独行のにいさんはそれに納得したらしく停滞のようだ。
ここが思案のしどころだ。直接甲信越地方に台風が向かってこなければ、天候の悪化はそれ程ないだろう。下の車に泊まれば食料も十分にあるし、寝心地もいいし節約にもなると結局下山と決める。何となくあわただしい山旅になってしまった。
小屋の中で雨具とザックカバーを着ける。小屋のご主人に『お世話になりました』とあいさつをすると、『お気を付けて』と取り立てて止めるような天気ではないといった感じて送り出してくれる。8時半過ぎの遅い下山を開始する。
小太郎尾根から草すべり、白根御池を経て広河原へのルートをとることにする。歩きはじめて直ぐの尾根道は東からの強い横風とガスで、『こりゃ大変だ』と思ったが、ルートは小太郎尾根の西側をまいての下りなので風も弱くなる。至るところにある赤ペンキの矢印と道標でルートを見失うこともなく進む。下りはじめてほどなく登ってくる人にも出会う。こんな天気でも登ってくる人はいる。
小太郎尾根分岐から草すべり方面に下る。登ってくる中年おばさん達のパーティに出会う。天気は気にしていないようで、『白根御池からゆっくり登って2時間ぐらいできました』と落ち着いた話ぶりだ。この辺りはお花畑でしっとりと霧雨にけむる色とりどりの高山植物が美しい。オレンジのクルマユリ、白いイブキトラノオやミヤマシシウド、紫のトリカブトも目につく。黄色やピンクの花も多い。台風一過の好天を期待しての登山か、さらに数パーティに出会う。
右俣コースを右にわけ、お花畑からダケカンバ帯を過ぎ、シラビソの針葉樹林帯へ、岩角や木の根を踏み踏み汗にまみれながら、ジグザグにどんどん下る。途中、先に出発した写真好きの熟年夫婦を追い越す。やがて、下方に白根御池が見えてくる。大阪のおじさん連がちょうど着いたようだ。白根御池(2236m)のちょっと上が雲底となっている。
白根御池は水たまりを大きくしたような池だが、池の回りには今日の天気でも数張りのテントが並んでいる。白根御池の小屋は新しく、三角形の丸太づくりで、鳳凰からも、北岳からもよくみえる。大阪のおじさん達は、今の雨なら増水の危険はないとみてか、大樺沢から下るため二俣まで戻っていく。大樺沢は急下降もなく平均して下れるコースだ。
私達はトラバースと急下降の白根御池コースを取る。うっそうとした原生林の山腹をトラバースする。このあたりの高度では、霧雨が雨に変わっている。二個所崩れた沢の上部を通過する。『増水の危険(大樺沢)と足下の崩壊(当コース)と、どちらが危険かな』と考えながら歩く。やがて下降点に至り急降下がはじまる。雨と汗にまみれながら白鳳峠の下りを思い起こさせる道を下る。登りの数パーティに出会う。ゆっくり歩いているつもりだが、下りの熟年3人パーティを追い越す。また、登りの数パーティに出会う。
昨日に比べれば幾分軽くなった荷なのに、やはり肩にくいこんでくる。雨具の下に着込んだ長袖シャツを脱ぐ。汗でぐっしょり濡れている。ゴアテックスの雨具に十分防水加工をしたため透湿能力が落ちたのだろうか。俊介は足の小指が痛いながら頑張って下る。『もうこの下りはいいかげん終わってほしい』と思ったころ、大樺沢のコースと合流する。ここから緩やかな広葉樹林の下りとなり、程なく広河原山荘の横に出た。
客のいない山荘で記念のバッジを買い、林道の様子を聞くが詳しいことが分からない。山荘を出てさらに情報を得ようと、野呂川を渡ってアルペン・プラザに向かう。プラザで林道管理事務所に電話を入れる。台風接近中のため開通の見込みはたっていないそうだ。横浜の自宅にも電話をする。横浜は強い風雨のさなからしい。南アルプス林道の通行止で開通の見込み無く、今日の帰宅は分からないと連絡する。プラザには開通待ちの客が数組椅子に腰掛け、なすこともなく退屈そうに待っている。車に帰ると、林道閉鎖の連絡がフロント・ガラスに張り付けてある。
結局雨の中4時間待ち続け、雨も上がって林道が開通する。強い風と落石に注意しながら帰途に着く。この夏の山旅の出発点、夜叉神峠の林道ゲートでは、待機中の登山客が林道の両わきにたって出迎えてくれた。(1993年8月28日記)
注:*1 地蔵岳のオベリスクは大樺沢のどの辺りから見えるか。 大樺沢二俣で休憩中、俊介が『アカヌケサワの頭の向こうにオベリスクが見える』と 注意を喚起したが、私の目には、アカヌケサワの頭付近の岩の突起ではないかと思われ た。大樺沢左俣上部では確かに肉眼でも地蔵岳のオベリスクが確認できた。一体どの位 の高度からあの特異な岩塔は見えるのだろう。2万5千分の1地形図『鳳凰山』で検証 してみよう。 地蔵岳オベリスクの標高点 2764m アカヌケサワの頭の標高点 2750m(大樺沢とオベリスクの直線上2745m) 大樺沢とオベリスクの直線上にあたるアカヌケサワの頭の高度は、2万5千分の1 地形図によれば、2740mと2750mのほぼ中間程度に読み取れる。 大樺沢二俣の標高点 2209m 大樺沢二俣、オベリスク間水平距離 5575m 大樺沢二俣、アカヌケサワの頭間の水平距離 5325m 大樺沢二俣からオベリスクを見上げた角度 α 大樺沢二俣からアカヌケサワの頭を見上げた角度 β 2764-2209 2745-2209 tanα=-----------=0.09955 tanβ=------------=0.10066 5575 5325 従って、地形図上では見えないことになる。 では、大樺沢の2300m地点からはどうだろう。 大樺沢、オベリスク間水平距離 5825m 大樺沢二俣、アカヌケサワの頭間の水平距離 5575m 大樺沢二俣からオベリスクを見上げた角度 αV 大樺沢二俣からアカヌケサワの頭を見上げた角度 βV 2764-2300 2745-2300 tanαV=-----------=0.07966 tanβV=------------=0.07982 5825 5575 ほんのわずかだが、計算上見えない。 地球の丸さによる沈み込みと、大気による光りの屈折で生じる浮き上がりである気差 を考慮すれば、アカヌケサワの頭の高度に応じてオベリスクが見えはじめる高度は以下 のようになる。(参照:田代博『山岳展望の楽しみ方』山と渓谷社、1991) アカヌケサワの頭の高さ オベリスクが見えはじめる高度 2740m 2220m 2741 2240 2742 2260 2743 2280 2744 2300 2745 2310 2746 2340 2747 2355 2748 2355 2749 2370 2750 2390 実際、大樺沢二俣(2209m)から撮った写真では殆ど識別できない。また、大樺 沢二俣より少し登った約2300前後で撮った写真にはオベリスクと思われる岩塔が覗 いている。正確な測量、調査を行った訳ではないので断言はできないが、どうやら大樺 沢二俣を少し登った辺りから見えはじめると言っていいのではなかろうか。 <記録> 8月25日(水) 6時35分 横浜自宅発 国道246、厚木から国道412、相模湖より国道20、 大月で渋滞、甲府竜王より県道20南アルプス街道、 南アルプス林道をへて 12時25分 広河原着 8月26日(木) 3時30分 起床 5時45分 広河原駐車場発 6時 広河原山荘発 6時18分 白根御池・大樺沢分岐着 6時23分 同上発 7時20分 第2崩壊地対岸上着 7時30分 同上発 8時17分 大樺沢二俣着 8時30分 同上発 9時13分 大樺沢左俣落石危険地帯下着 9時24分 同上発 9時56分 大樺沢上部二俣着 10時04分 同上発 11時00分 八本歯のコル着 行動食 11時25分 同上発 11時52分 北岳山荘へのトラバース分岐着 12時00分 同上発 お花畑、吊尾根分岐にて雨具着用 12時57分 北岳山頂着 13時19分 同上発 14時03分 肩の小屋着 素泊り一人2500円 8月27日(金) 7時 起床 8時25分 肩の小屋発 9時07分 草すべり小休止着 9時10分 同上発 9時55分 白根御池着 10時05分 同上発 12時00分 広河原山荘着 途中急下降で数回小休止 南アルプス林道開通待ち 16時30分 広河原発 南アルプス林道、白峰会館、県道20、県道12、国道52、 県道9、国道300、国道139、国道138、泉水(20時)、 国道138、国道246を経て 23時00分 横浜市自宅着 以上