吉永 耕一
98年8月22日(土)
赤石岳を中心とした南アルプス南部へのアプローチには時間を要する。JR新幹線を利用して静岡へでる。新静岡バスセンターから静岡鉄道バスで、安倍川沿いに北上し、富士見峠を越え、一車線の南アルプス公園線を井川ダムより緑におおわれた大井川の深い渓谷に沿ってさらに北上し、終点の畑薙第一ダムまで3時間半をかける。この時期一日片道2便。ここから東海フォレストのリムジン・バスに揺られて50分。やっと登山基地の椹島[1123m]に到着する。南アルプス南部の懐の深さを感じる。
ちなみに、各登山エリアの最寄都市からの時間を見てみよう。北アルプス北部の剣、立山の場合は、富山から登山基地室堂[2430m]まで、約3時間(8月下旬で片道17便)。北アルプス南部の槍、穂高の場合は、松本から上高地[約1500m]まで約2時間(片道18便)。南アルプス北部の北岳は、甲府から登山基地の広河原[約1500m]まで約2時間強(9便)。
畑薙ダムから椹島に向かう未舗装道路からは、対岸(大井川左岸)に大きな赤崩、ボッチ薙の崩壊ガレ場がのぞまれる。椹島の宿泊所は、清楚なカラマツ林のなかにある。東海フォレストの事務所や素泊り用の登山小屋、冬期小屋にならんで200人収容可能で入浴もできるロッジがある。入室を済ませ、散歩にでる。東俣林道を戻ってすぐの牛首峠から赤石沢の奥に鋭い赤石岳が眺められた。赤石沢の北側に広大な大倉尾根(東尾根)が、3段の墨絵を描いている。
椹島の施設内には、大倉喜八郎の記念碑がある。碑文に翁が90歳の時、200人を率いて赤石岳に登山し、登山道を開いたとある。1926年8月のことでで生簀に魚を生かし、山中で豆腐をつくるといった大名登山であったと語り伝えられている。三伏峠以南、荒川三山、赤石岳、聖岳一帯は、南アルプス国立公園が、東海フォレストの親会社、東海パルプが所有している。
夕食時には約50人の登山客がいた。
8月23日(日)
多くの登山者は、千枚岳、荒川三山から赤石岳を目指す。千枚岳への緩やかな登りを好むようだ。私は、赤石東尾根の急登にチャレンジする。
椹島入り口付近の鉄階段から赤石岳に登りはじめる。桧、カラマツの植林地を尾根上までジグザグに急登する。やがてミズナラの広葉樹林がカンバ、ツガの自然林に変わる。荒廃した林道に2度ぶつかる。南アルプスらしい苔むしたシラビソ林の急坂を登りつめる。15kの荷でも、一歩一歩足下を見つめながら、汗を吹き出しながら、片足ずつの静的加重を繰り返す。
緩やかな尾根となり、赤石小屋に到着する。椹島から標高差1400mを5時間で登る。赤石小屋横の展望台からは、北に奥西河内越しに悪沢岳、中岳、前岳の荒川三山、西に赤石岳、西南に赤石沢越しに聖岳、聖岳東尾根が見える。やまやまが大きな大きな空間を形づくっている。やはり来てよかったと思う。やがて夏山に特有の昼から湧きあがってくる雲に姿を隠してしまう。
8月24日(月)
夜明け前、小屋の窓からは数々の星が見える。起き上がり、そっと展望台に登る。満天雲はなく、南アルプス南部の山々に朝が訪れていく。影絵の悪沢岳、千枚岳の裾にちょっぴり雲がかかりはじめる。ここからは日の出は見えないが、順次赤石岳の山頂から明るくなる。やがて表面を赤く染めた赤「赤石」、赤「聖」が現れる。
赤石小屋からこ一時間登ると平たんな富士見平へでる。振り向くと、朝日を背にして雲海の中に夏富士が頭を出している。更に大きくなった赤石岳、荒川三山、聖がくっきりと見える。聖の左手は雲に被われた上河内岳だ。富士見平には、旧陸軍軍用機の遭難碑がこじんまりと立っている。かつてどんな事故があったのだろう。
富士見平から先は、やせ尾根をトラバースする。冬は、このままやせ尾根「らくだの背」ルートをとる。樹林に隠されているが、かなり急な斜面のトラバース道には、8ヶ所真新しい鉄パイプ組みの桟道が設置されている。下には昔の腐った桟道の木組みが放置され、年月の経過を知らせている。ルンゼを何個所か横切り、北沢源頭につく。カールから落ちたルンゼには8月も下旬というのに小規模ながら雪渓が残っている。
急斜登して稜線上の縦走路直下で回りの景色を楽しむ。足下の緑の東尾根に小さな赤い屋根の赤石小屋。その先に白峰南嶺の山々。さらにその先、雲海に浮かぶ富士山。東尾根南斜面の深い北沢。赤石岳頂上からスッとのびるカール状地形。縦走路にでて一登りで赤石岳山頂(3120m)に到着した。
頂上方位盤から周囲を眺める。北西の中央アルプス、北北西の北アルプスは遠く雲に被われている。北に転じると、小赤石岳越えに荒川大崩壊地から荒川三山、その向こうに塩見岳が坊主頭をのぞかせている。さらに遠くに千丈岳、間の岳、甲斐駒ヶ岳、農鳥岳が見える。南アルプス盟主の北岳は間の岳に隠れている。
南には、ぐんと高度を落として広い百間平、再び高度を起こして、大沢岳、中盛丸山、兎岳のスカイ・ライン。さらに高度をもたげて聖岳。上河内岳、茶臼岳が頭を出している。山頂からの景観は、苦労は多い山登りを一変させる醍醐味だ。
赤石岳の南面岩礫帯をトラバースしながら下って馬の背から百間平へでる。北面は部分的に崩壊している。小渋川から大河原方面がのぞめる。広河原小屋から大聖寺平までの尾根もかなり急だ。百間平は広々とした隆起準平原だ。南アルプスは尾根に平坦地を残す侵食中の若い山地と言われている。
百間平から正面見える、大沢岳から中盛丸山、兎岳、聖岳へのスカイ・ラインが美しい。見ながら急な斜面をぐんぐん下り沢にでる。ここが百間洞の源流地だ。流れに沿って下ったところに百間洞山の家がある。
狭い地形を利用した3階だての真新しい小屋だ。二階の受付で人を呼んでも返事がない。誰もいない。静かなもんだ。渓流のせせらぎだけが聞こえてくる。百間洞は落ち着いた雰囲気だ。気にいってしまう。一時間半程待ったころ小屋番のおじさんが帰ってきた。小屋から大沢岳への登山道を造っているそうだ。
8月25日(火)
1927年7月、大倉喜八郎の大名登山の翌年、天性の単独行者・加藤文太郎は小渋川から取りつき赤石岳を経て聖岳を往復し、荒川三山、塩見、農鳥、間の岳、北岳、高嶺、地蔵岳を通って韮崎へ降りた。加藤の足跡を追うつもりではないが、赤石岳から南の重鎮・聖岳への往復を是非やりたいと思っていた。
午前3時には満天の星であった。晴れると期待したが、午前4時半、薄明かるくなりはじめた聖岳はガスに被われている。百間洞山の家を出発する。ライトもつけず、目をこらして大沢岳を目指し急登する。30分も登るとガスの中に入る。視界はない。ゆっくり登って、稜線下でお湯を湧かし朝食のおにぎりを食べる。相変わらずのガスで雨具のズボンを着ける。
岩稜をすすんで大沢岳を越える。晴れれば南アルプス南部全山を眺めながらの稜線漫歩を楽しむつもりであった。残念だ。風もでできた。霧の中を中盛丸山を越え、小兎岳を通過し、兎岳のあたりから雨になる。兎岳を越えたところに非難小屋があった。のぞいててみると、中は荒れているが、悪天のときはきっと役立つだろう。
兎岳からやせ尾根を下りきった聖・兎コルの西側は切れ落ちている。赤紫色の岩盤が露出している。赤石岳・赤石沢の名前の由来だろうと想像する。[後で知ったが、やはり赤石の名は、このラジオラリア板岩に由来している。水成岩の一種で原生動物放散虫の遺骸が堆積したものという。これが流出した沢に赤石沢の名がついたという]
コルから登り続け、聖岳の大崩壊地を西に見ながらやがていつの間にか聖岳頂上へたどりつく。標高3013mの最南の3000m峰にたつ。上空の雲がきれて太陽がさすが、周囲はやはり白い霧のなかだ。
聖岳への思いを残して、強い風の中を百間洞へ帰る。朝歩いた山稜の道を戻る。小兎岳の下りで、ガスが晴れ円錐状の中盛丸山が眼前にそびえる。岩稜の登りは想像以上に手ごわかった。頭を雲に被われた赤石岳を眺める。晴れていたらどんなにすばらしい景観を満喫できただろう。
大沢岳の登りで、また、雨が落ちてくる。視界はなくなる。大沢岳から高度感のある300mの急斜面を下って、11時間の聖岳往復が終了する。
8月26日(水)
未明、稲妻が光り、雷鳴がとどろく。周囲の山やまは雲のなか。時折雨が降ってくる。
雨具のズボンを着けて、百間洞から急坂を登って百間平にでる。雨が本格的に降りはじめる。広い百間平で視界が無くなる。ペンキのマークをたどるのでコースを失うことはない。馬の背のあたりで雷鳴がとどろく。赤石岳の南面岩礫帯を一定の速度で登っていく。さらに砂礫の道を登り続ける。ジャジャ降りの中、赤石岳山頂に着く。
悪天候なので避難小屋に寄る。小屋の外の温度計は10度をさしている。軒下にいたら小屋番のおじさんが中に入れとすすめてくれる。中はストーブで暖かい。
数日前、北沢で滑落事故が起きたそうだ。ストックに頼って転落したらしい。ヘリコプターを要請して救助したが、どうやら即死に近かったらしい。避難小屋にビール罐を荷揚げしたおじさんが、ストックを持った登山者に、盛んに「ストックを使わずに、自分のバランスで降りなさい」と話している。広い岩稜ならともかく、切れ立ったトラバース道は自分のバランス以外にないと思う。
「赤石岳は厳しい」ということばに重みがある。
天候の見通しを聞くと、ここ数日は今日と同じような気象状態がつづくだろうと答えてくれる。今年の夏は、4、5日前の晴天だけで、あとは殆ど悪天続きだったそうだ。北アルプスも悪天と上高地の地震で、小屋の商売は全滅状態と嘆いていた。
当初の計画では、これから荒川三山を巡り椹島へ下山予定だった。体調はいいが、雷と雨で展望のない山旅をつづける気にはなれず、赤石岳東尾根から椹島へ下山することに変更する。
赤石岳山頂を再び踏んで、強い雨の中、東尾根を下る。時折とどろく大きな雷鳴が不気味だ。北沢源頭部で、晴れていても疲れてバランス失えば、この一般ルートでも滑落する可能性はあると思った。
下りもたんたんと足を運んで、一時間半で樹林帯にはいった。風も雨も穏やかな樹林帯を下って、予定の時間で椹島にすぶぬれ姿で到着した。防水に気をつけたつもりだが、雨具とザックの背負い部分の間から雨が入り、ザックに浸水した。
百間洞から600m登り、赤石岳山頂から2000m下ったにしては元気だった。
山小屋
この98年夏は全国的な停滞前線で気象状況が悪かったこともあり、南アルプス南部への登山客も少なかったと思われる。あたらしい小屋も多く利用できたスペースは、北アルプス、南アルプス北部とは比較にならない程ゆったりしていた。
椹島ロツジ
山小屋というより登山基地の2階立ての棟が並ぶ旅館(1泊2食付き¥8000)。周囲はカラマツの針葉樹で雰囲気はよい。素泊りは古い平屋建て(登山小屋¥3000)を使う。初日から南アルプス登山の雰囲気にひたれる。食事は一般的。林道を車輸送できるのだからもう一工夫ほしい。夕方利用できるフロあり。ロッジには多くの小部屋(6畳)があり、今回は3人相部屋。最初、中年男性2人だったが、夕食後隣は狭いのでと、おばさんが入ってきた!下山時は、濡れた荷物の整理を考えて個室扱いにしてもらう(+¥2000)。
赤石小屋
赤石東尾根の尾根上にあり、すぐ横の物干し台のような展望台から荒川三山、赤石岳、聖岳が眺められる。新造の小屋で中2階式の3フロアー。棟の半分は階上は無く解放的な室内だ。夜にはいたるところから、いびき、歯ぎしりの大合唱が聞こえてくる。畳み1畳分のスペースを利用できた。夕食には魚のフライがついていたが、あまり記憶に残っていない。夏用平型シュラフと毛布の寝具。二重窓になっているが、夜は毛布をひいて、その上のシュラフにTシャツでもぐり込むとやや寒い。トイレは屋外の別棟で比較的清潔。
百間洞山の家
小屋の前をせせらぎが流れる。。椹島・荒川三山・赤石岳の周遊登山コースからはずれツアーの登山客も無く、谷間の落ち着いた感じのする山小屋。1泊目登山客5人。2泊目9人。夕食にそばとトンカツがでる。山小屋の食事で初めての体験。寝具は赤石小屋と同じ。東海フォレストが管理している荒川・赤石の山小屋はきっと同じだ。トイレは屋内。男子小便は屋外。トイレが屋内のため、テント泊の利用も考え、汚れにたいし他の小屋にはないマナーを求めている。
小屋番の独白
百間洞山の家では登山客も少なく、管理人さんの話が楽しかった。
[食事自慢]
夕食にそばがでる。ゆでかげんをあわせ、タレにはネギとワサビがはいっている。ソバをゆでるとプロパン・ガスの使用が増え、もうからないそうだか、疲れた体には食欲が増す。大きなトンカツもあげどきを見計らい、アツアツで出してくれる。生キャベツの千切りがうまい。キャベツの保存に苦労しているらしい。これだけ努力しているから、他の小屋の食事についての対抗意識は強い。各小屋が切瑳琢磨すべきだと、林さんは熱弁をふるう。
[小屋の管理]
東海フォレストの管理だか、各山小屋は管理人の独自の運営にまかされている。小屋自体は静岡市の所有物で建設に7000万かかったそうだ。静岡県が東海フォレストに無料で賃貸しているという。管理人の日当は¥25000で、営業利益は、東海フォレストと管理人で折半(管理人25%程度)しているらしい。また、1泊2食¥7500のなかからリムジン・バスの送迎代として¥1000をフォレストに収めているという。東海フォレスト8軒の山小屋全体でで昨年は2億5000万の売上げだった。少ない少ないと嘆く。これだけゆったりとしたスペースを確保できているから、北アルプスの基準なら1泊2食で¥15000ぐらいはもらいたいそうだ。
[酒飲み]
1泊目はバイトも下山して林さん一人で、客の食事にあわせて日本酒をグィグィと飲む。本人がいわく長野県人特有の辛らつさで軽口をたたく。口も滑らかになると、奥さんと別れたことや、娘さんが一人いること、その娘さんのために新しい登山道を造っていること、お母さん思いで、毎月6万の老人病院費を負担している話がでてきた。中高年夫婦の2組はそうそうにひきあげたが、暗い食堂で2時間あまり林さんの話をうかがう。進められるままに、山ではめったに飲まない酒を少しいただく。
[小屋番稼業]
夕食どきには、昔から別の場所で小屋番をしていたという話であったが、二人で飲みながらやっと場所が話にでてきた。昔、百間洞の山の家が現在地より少し下ったところにあったころ(廃屋が残っている)平成元年まで20年近く小屋番を勤めたという。林さんは流通経済大の4期生ということだが、なぜ小屋番になったかはわからない。
1枚の建設現場宿舎らしい写真を見せてどこか分かるかという。たまたま、昨年の山と渓谷8月号、特集=南アルプス パノラマ山行に「便ガ島(たよりがしま)登山小屋閉鎖の経緯と今後」という記事の写真を思い出して告げると、それだと答える。林さんは前科一犯と自嘲ぎみに語るが、管理者として無許可営業で書類送検されたのだ。便ガ島は、長野県側から聖岳・光岳への絶好の登山口として人気があった。林さんは多くを語らなかったが、南信濃村との間でうまくいかなかったようだ。小屋の廃業で現在も700万の借金が残っているという。「今、金が無い。金が無い」とこぼしていた。
木の漢字と読みを刷った、山の宿「便ガ島」記念の手ぬぐいをいただく。
厨房を見せてもらったが、街の食堂より立派に見える、静岡県所有の山小屋には標準仕様となっているコンロ・オーブンの横に、昔からの鋳物のガス・コンロが置いてあった。「道具は使えなければ役に立たない」という林さんが印象に残る。
2泊目に再入山してきたアルバイトに、大きな声で説教し、小屋番として鍛えていた。
[山登りへのアドバイス]
受付の際、連泊して百間洞から聖岳へ往復したいと告げると、うれしそうな顔をして10年ぐらい前の山と渓谷で、「赤石岳から聖岳への雲上の稜線歩き」という特集記事があったという。それを読んできたかと尋ねられた。
「空荷のピストンなら片道4時間でいける」という話だった。ガスで視界が悪かったので、実際は往復11時間かかった。もう一度、展望のきく日に、大沢岳、中盛丸山、兎岳、聖岳の稜線を片道4時間で漫歩したい。
「暗いうちはやめて、明るくなった4時半ごろ出発しなさい」と間際まで朝食の弁当を渡さずに、ドリップ・コーヒーを入れてくれる。
「ヘツド・ランプは下りがあぶない。照明するために頭をぐるぐる回さねばならない。まだ、手持ちのライトがいい」
テルモスの熱湯で済ませようとすると、「ブタン・ガスのコンロを持っていきなさい。お湯を湧かすとリッチな気分になれる」
「山では、朝よく雨が降る。雷も鳴る」 (1998年8月29日記)
<行動記録> 8月22日(土) 曇り、晴れ 06:05 起床 07:05 自宅発(車) 07:18 あざみ野駅発 地下鉄 ¥260 07:51 新横浜発 新幹線こだま ¥4930 09:50 新静岡バスセンター発 静岡鉄道 ¥3830(荷物代含む) 11:39 富士見峠 13:30 畑薙第一ダム着 14:05 畑薙第一ダム発 東海フォレスト・リムジンバス 14:58 椹島着 椹島ロッジ ¥8400(税含む) 8月23日(日) 快晴 05:00 起床 05:30より朝食 06:00 椹島(1123m)発 06:50/07:00 赤石岳東尾根 07:50/08:00 08:50/09:00 09:48/10:00 10:54 赤石小屋(2564m)着 ¥7500 8月24日(月) 快晴 04:00 起床 05:00より朝食 05:30 赤石小屋発 06:04 富士見平着 06:14 富士見平発 07:04/07:14 07:54 赤石岳縦走路分岐着 08:04 赤石岳縦走路分岐発 08:20 赤石岳(3120m)着 08:45 赤石岳発 09:28 馬の背着 09:49 馬の背発 10:40 百間洞上斜面着 11:00 百間洞上斜面発 11:15 百間洞山の家(2515m)着 2泊¥15000 8月25日(火) 曇り、雨 03:30 起床 04:30 百間洞山の家発 05:30 大沢岳下着 朝食 05:53 大沢岳下発 06:07 大沢岳(2819m) 06:55/07:10 07:38 小兎岳(2738m) 08:08 兎岳(2818m) 08:20 兎岳避難小屋着 08:25 兎岳避難小屋発 09:48/09:58 10:20 聖岳(3013m)着 10:40 聖岳発 11:27/11:37 12:30 兎岳着 12:40 兎岳発 13:30/13:40 15:00 大沢岳下斜面着 15:07 大沢岳下斜面発 15:30 百間洞山の家着 8月26日(水) 曇り、雨、雷 04:30 起床 05:33 百間洞山の家発 06:35 百間平 07:28/07:35 08:05 赤石避難小屋着 08:25 赤石避難小屋発 09:45 富士見平着 09:50 富士見平発 10:17 赤石小屋着 10:30 赤石小屋発 11:20/11:30 12:20/12:30 13:38 椹島着 椹島ロッジ ¥10500 8月27日(木) 曇り、雨 05:00 起床 07:30 椹島発 東海フォレスト リムジンバス 08:10 畑薙第一ダム着 12:20 畑薙第一ダム発 静岡鉄道バス ¥3830 15:40 静岡駅着 16:18 静岡駅発 新幹線こだま ¥4930 17:31 新横浜着 18:00 あざみ野着 ¥260 18:10 自宅着 タクシー ¥660 以上